最近同僚と話をしている中で、色んなことに今お互い挑戦しているし、したいことをしているつもりだけと「無駄」も多いよなーと。
その中で僕は36歳を目前にして「スケボーをしてみたい」と思っていると話をしました。すると同僚が苦笑を始めて、「それは無駄です!!やめた方がいいです!!」と笑
僕は僕で、Instagramで見たスケボーでカッコいい技を披露している子どものショート動画を観て、やったことないな・・「やってみてもいいかも」・・・「やったらいいんじゃないかな!!?」となったのですが、どうしても同僚には良さが伝わらなかったみたいですΣ੧(❛□❛✿)
やってみたいは個人のもの
今回のこの話では色々な問答が続いて結局「俺はやってみるよ!!」となったのですが、やっぱり興味の枠っていうものは個人によって形作られていて、それを他者に伝わるように説明することは難しいということが理解できました!
僕自身の中で、スポーツができる人はかっこいいという認識があります。そして、特にバランスを必要とされるものはセンスがいると思っているので、どれもカッコいいと思ってしまうのですが、そうではないらしいのです。
そして同僚の中では「スケボー」は・・・「スノボー」はいいですけど!!
なんだろうことの価値観の差は!!?と思いました。同僚が悪いわけではないのですが、確かにどっちがカッコいいイメージかと言われたら「スノボー」な気がする自分がいたのです・・。自分にも悔しい笑
世間的なイメージ・・印象操作がなされているようなことにすごく驚きました!!
今でこそ男の料理は認知されているのですが、学生の当時「お菓子作り」は女性の特権的な位置付けでしている人すら見かけませんでした。僕は自分が好きなのもあって「お菓子作り」に熱中していたのですが、男友達には理解してもらえなかった記憶が残っています。
そう思うと「やってみたい」はやっぱり個人のものなんだと思い至りました。そして、それはやっぱり自分のしたいことを否定されてもやっていいし、やってみて微妙だったらやめればいいだけです^ ^
人の印象や言葉に左右されずやってみたいと思います!!大コケするかもしれませんが🤣
大抵のことは無駄なんだろう
この話の延長で、大抵のことは無駄なんじゃないかという結論に至りました。同僚話していて、お互いに無駄に頑張っていることや、それ必要????と思えるような時間をかけていることが多いことに気づいたのです。
本を読むのは無駄っていうYouTuberの方がいます!でも、その方は本を要約してくれる動画で十分という理由を持っています。それでも、僕は本を読むことは好きなのでやめません。
本当の向き合い方一つでこれだけ考え方が変わると気付かされました。
本の内容を理解しようと思って、時間を大切に考えるなら動画でいいと思います。
本を読むために作った時間と整えた環境で静かな時間を楽しみ読書、内容を自分のペースで読み解いていくことが好きな人は本を読むことは大切な行為だと思います。
一つの動作や行動、趣味思考をとっても、自分以外の他者から見たら「一見無駄な行為です」でもそこにどれだけ意味を付け足すことが自分にできるかで、きっと自分の好きが色づいていくのだと思いました。
自分と自分の身の回りで起きていることや選択したことで、どれだけの「色合い」を変化させられるかが、きっと人生を楽しむヒントなのではないかと思っています。
今日の早起きの彩りは「朝日の綺麗なオレンジ色」でした( ^ω^ )
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