自分でお金を生み出すとはどういうことだろう?
友人と久しぶりにゆっくりと話す機会があった時に、「自分でお金を稼ぐ力がないと思う。」「今は会社という箱の中で、存在しているから自分で稼いでいるという実感がない」「会社で働かなくなった時の自分の価値を感じられない」
僕としては、一般社会で働いていて、お金を頂いて生活をしている時点ですごいと思えてならなかったから、「自分で稼ぎたいってことですよね〜今でも十分と思うけどな〜」と答えてしまった。
でもそれは、僕の価値観であって、一時的に会社を辞めて家に閉じこもっていた自分を知っているからこそ感じたことで、相手にとっては違っていたのではないかと今は思っている。
自分で稼ぐ力とはなんだろう?
自分で稼ぐ力ってなんだろう?とふと思っても、0から1を生み出すような発想が自分にはまだ難しい。でも、友人はその力が欲しいのではないかと思う。
何かを作って売ったり、自分のスキルを活かして、お金をいただく。現実社会では、ごく当たり前に行われていることを強く意識しているんだと思う。
雇われている人が1を2にできるように働いているように、自分はその出発点になりたいと思うのではすごくかっこよく感じるが、自分にできるかと言われれば、行動力の面で足りていないことが多いように思う。
きっと以前は自分に根拠のない自信があって、やればなんでもできると思っていたりしていが、そこまでの勇気というか度胸がないのが現実だ。
私の友人で言えば、現状自活していて、自分のことは自分でできる状況。これは自立と言って間違いないと思う。「稼ぐ力」と一言で言えば簡単かもしれないが、きっと定義は人それぞれなんだと思う。
成長したい欲
個人的に今思うのは、段階が一つ上がったのではないか??ということだ。
20代後半に会社の中で、役職があがり給料も増えた時に、段階が上がっていることを実感していた。心の成長を置き去りにしたままだったからか、途中リタイヤ・・・その後も強制リタイヤが数年後に続いたのだが、そういった段階的なある程度の成長願望が訪れたのではないかと感じる。
生活が安定している。趣味もある程度できて、どちらかと言えば多趣味。貯蓄もゆっくりできている。
その状況で、日々を楽しめていない自分がいる。それは自分の心に訪れる小さな違和感だ。
そこには成長と経験に基づく、人間ならではのいい意味での「飽き」が訪れている気がしてならない。できることが増え、欲しいものも手にいれることが容易になった。そして、判断も自分でできる。そこに緊張感や刺激的な事柄はどんどん含まれなくなる。
生活や働く中で、知らないことが減っているからだ。子どもは常に全力だ。「やりたい、欲しい、したい、したくない」自分の状況を思った瞬間に実行する。ある程度、歳をとるとそこに一時的な悩むという行為が追加される。きっとその悩む行為が行動を邪魔してしまう。
そして「良い・悪い」で考えてしまうのだ。
ここから脱出する必要があるかは、その人それぞれだが、もし仮に脱却したいのであれば、環境を変える。価値観を一度リセットしてみる必要があると感じる。
よく人は変えられないという。変えられるとしたら自分自身だ。
自分を変えるために必要なことは
①環境を変える ②付き合う人を変える ③時間を変える
と言われる。それくらい意識的に動かなければ、何も変わることはないのだと思う。自分がしようと思っても、なかなかできないことなだけに助言としても伝えるのは難しい。でも、きっと友人は自分の軸を持っている人だから自分で気づくと思う。
そんな話を聞いて、自分は何かできるだろうか??こうやって記すことくらい、考えることくらい。そして、今後どういう動きをするか自分にちょっとだけ期待することができることなのかなと思っている。
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